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贈り物は、ときどき翼をもってやってくる

贈り物は、ときどき翼をもってやってくる

贈り物とは、不思議なものである。箱の中身そのものよりも、贈る人の心のほうがずっと重かったり、あるいは軽やかだったりする。日本には「贈答」という文化が古くから根づいているが、現代の私たちは、形あるものだけではなく、形ないものもまた贈り合うようになった。

先日、友人から小さな包みを受け取った。開けてみると、中からはハンドメイドのろうそくと、一枚の手紙が出てきた。「この香りがあなたの緊張を解いてくれるように」と書かれたそのメッセージは、私が最近忙しい日々を送っていることを気にかけていてくれたからこその贈り物だった。香りはラベンダーと杉の調合。夜、ともせば、森の中の静けさが部屋に広がる。

贈り物の本質は、等価交換ではない。むしろ、非対称性の中にこそ真価がある。例えば、祖母から貰った一針一針手編みのマフラーは、店で買えるそれよりもはるかに温かい。値段をつけることなどできない。そこに編み込まれている時間と想いが、何よりの価値だからだ。

ビジネスの世界でも、心意気は大切にされる。取引先に贈るほんのささやかなお中元やお歳暮ですら、「いつもお世話になっております」という感謝が主役である。贈り物は、言葉では言い尽くせない気持ちを代わりに運んでくれる使者のような存在だ。

最近では、体験型の贈り物も人気を集めている。コンサートのチケットや、スペシャルなディナーへの招待状——それらはモノとして残らない代わりに、記憶という形で心に刻まれる。もしかしたら、最も贅沢な贈り物は「時間」と「経験」を共有することなのかもしれない。

SNSが発達した時代だからこそ、直接手渡す贈り物の温もりが再評価されている。包装紙を破る音、箱のフタを開けるときのわくわくした間——それらすべてが、贈り物という行為を特別なものにしている。

贈り物は、ときに翼を持っている。物質的な形を超えて、贈る人のもとから贈られる人の心へと飛んでいく。小さな贈り物の裏側には、相手を思う大きな気持ちが宿っているのだ。